暦について。

江戸時代までは「太陽太陰暦」という月の満ち欠けをもとにして作られた暦を使っていた。太陽太陰暦では新月から次の新月新月上弦の月→満月→下弦の月新月)までが「ひと月」で、週や曜日という概念はなかった。1ヶ月は29日、もしくは30日だ。

 

曜日自体がないと不便に思うかもしれない。しかし、当時は予定や行事を「日にち」で決めていたので平気だった。たとえば、「商店は毎月一日と十五日」というような具合だ。しかし、明治維新後、西洋の暦を使う事になる。日本の暦と外国の暦では、ひと月からひと月半ほどのズレがあったからである。その上、外国人の中には「日曜日」になるとお休みを取る人もおり、仕事がやりにくかったのである。

 

そうして日本も諸外国と同じ太陽暦(の中のグレゴリオ暦=16世紀にローマ法王グレゴリウス3世が採用したももの)を使う事になる。これはキリスト教徒によって世界中に広まった暦だった。

 

その為、日曜日が休みなわけだが、それまでの日本では休みの形式もまた違った。正月と盆、村祭りなどが社会全体の休日であり、学校や寺子屋は「3のつく日」や「5のつく日」のように、月に3日ほどが休日となっていた。いまよりずっと少ないが、1日の授業時間がそもそも3時間程度だったのだから問題ない。

 

そんなこんなで明治政府は1873年(明治6年)に暦を変え、翌年に全国の学校の休みを日曜日にすると発表した。その後76年には政府や官公庁も日曜日を休日とし、当時続々とつくられた会社や工場もそれに倣った。

 

しかし、実際にこの習慣が当たり前になったのは二次大戦後だった。それまではなんだかんだ給料も安く、休みの日であろうと出勤するのが普通だったのだ。土曜も休みとする週休二日制が一般に広がったのはここ2〜30年の話なのだ。

 

 

 

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安息日

旧約聖書』には「神は6日間で天地万物を創り、第7の日に休んだ」とあり、『新約聖書』には「金曜日、十字架にかけられたキリストは、日曜日の朝復活した」とあるため、日曜日が安息日になった。

【3種類の暦】

紀元前2000年ごろに月の満ち欠けの周期をもとにメソポタミア(今のイラクらへん)で作られた「太陰暦」。しかしこれは1年が354日で、実際の季節とは暦がずれていってしまう。

それを調整するため、数年に一度、一年を13ヶ月にしたのが「太陰太陽暦」。

最後の1つ、地球が太陽のまわりを一周する時間を1年としたのが現在もっとも多くの国で使われている「太陽暦」。